スゴイダイズ・ヨーグルトタイプ

この「さかなのたび」ブログの特徴を端的に紹介してくださいといわれたら、
たぶん、わたしは「リリカルなブログです」と言うと思う。
しかし、リリカルは滑稽である。また、ギャクと表裏一体の関係でもある。
というようなことを、今朝、お布団の中でむにゃむにゃと思いついた。


というのも、昨日、さくらももこの『ひとりずもう』を読んだからである。


わたしは、さくらももこの作品をカウンターカルチャーという意味において、ずっとサブカルだと思っていたのだが、
アニメの大ヒットといい、中日新聞の4コマ進出といい、どうやらメインストリームらしい。
だから、さくらももこはいつの間にか「スモーキン・ガンジャ」とか言わなくなったのだろうし、
「うみのさかな」の異名も捨ててしまったんだろう(宝船蓬莱と離婚したからだろうけど)。
だけど、彼女のカウンター・カルチャーたる本丸は、永沢君と藤木君、野口さん、父ヒロシにあると思うので、
やっぱり、わたしは彼女はサブカルなんだと思うし、これからもがんばってほしいなと思う。


問題は、件の『ひとりずもう』である。
わたしはすっかりギャク漫画として読んじまったのである。
ひとりずもうというタイトルからして、最近の言葉でいえば自虐ネタなのだろう。
いちばんいいなーと思ったのが、高校の文化祭がめんどくさくて家に帰ってしまうところ。
思春期の女の子たちがもっている選民思想は、本人がどう思おうと、ギャグだと思う。


だけど、単行本というのはあとがきなんてものが付いているからさ。
ご丁寧に作者による作品解説なんかが付いてしまっている。
で、ここで登場する、言葉がリリカル。
ギャグではなくリリカルな作品が描けるのだと自分の新たな方向性を見出した的な…
この発言には非常にしょんぼりして、わたしは眠った。


「あーあ。リリカルはギャグだのに。」というのが目覚めて気がついた結論だったのだ。
なんといえばいいのかしら?
あの真剣にならなければいけない時に限って、笑いが止まらないという、あの不思議な笑いのメカニズム。


というわけで「さかなのたび」ブログはリリカルなんですが、基本的にはギャグなのですよ。


でも、誤解されてるかもしんねー。と思ったので、
(というのも、詩的な文章とお褒めいただくから。もちろん、それはとびきりうれしいんだけれども)
リリカル・アレルギー・キャンペーンをしばらく掲げたいと思います。


キャンペーン第一回目は、自分の最近ハマっているもの。

「スゴイダイズ・ヨーグルトタイプ」

普通のヨーグルトとは違う、酸味がキュート。