注射がダメな時

soranosakana2008-04-28




わたしはとある事情で、
定期的に血液検査をするのですが、
時々ものすごく注射が怖くなることがあります。
今日はそんな日でした。
「ほんとうに嫌だなぁー。あー。やめて〜」と心が折れてしまいそうでした。
そんなわたしの心持ちなど、看護師さんは気付いてくれるはずもなく、
ぶすりとやられましたが…。


ところで、以前、友人たちと、注射の針が腕にささるところを「見る派」か、「見ない派」かという話題でもりあがったことがありました。


わたしはというと、昔は「見ない派」でしたが、今はすっかり「見る派」になりました。
というのも、わたしの好きなタイプの人たちはもののみごとにみんな「見る派」だったからなんです。
単純さかな、好きな人たちが「見るよ」というとすぐ感化されちゃうわけです。


わたしのなかで、注射の針が腕にささるところを「見る派」の人は、自分のことを自分で管理する理性的で、ストイックな人というイメージなのです。
自分のことは自分で知っておきたいとか、自己管理とか、なんか自力した感じのイメージ。
今考えてみれば、そういうタイプの人を近代的自己が確立された人とか、自己統治された人とか、いうねかもしれないな。
そしてわたしは、そういうのが憧れの対象なんだと思うけれど。


四年前、フーコーに悩まされ、フーコーのすごさに圧倒され気づかなかったことを、今さらながらに気が付くことがあります。
フーコーは、規律権力とか、自己統治とか、自分で自分を監視する権力の話をするけど、
わたしは、ひとり暮らしが長くなるにつれ、まったく、規律権力が働かない人間になっています。
見られていないと、どんどん自堕落になれさかななのです。
誰か、わたしを適度に管理してくれないだろうかな…。
少なくとも、わたしは他者という指標が必要なのだと思う。
ご近所のひつじちゃんのお家にいくと、
いつも、真面目に生活しなくては…と心が洗われるもの。



だから、わたしは注射針が腕にささるのを見れるようになったけれど、
やっぱり、いつまでたっても「見ない派」なんじゃないかなぁと思います。


…まぁ、今日は注射が嫌だったというだけなんですが…。