伊藤歩がうらやましい

soranosakana2008-01-26



トーキョーに来てすぐのころ、
お酒の席でとある先輩に
「わたしは緒川たまきみたいになりたい。
でも絶対になれない」
と酔った勢いで叫んだことがあります。
するとその先輩は、
「俺、緒川たまきみたいなの嫌い。俺の友達、ぜったい、
緒川たまきみたいな女子のこと好きになって相談されたりするんだもん。
『がんばれよ』とか応援するのとか嫌だ。絶対俺は嫌だ」
と叫び返したのでした。


噛み合っているといえば、噛み合っている会話。
噛み合っていないといえば、噛み合っていない会話。
というか酒の席とはいえ、馬鹿な会話をしたものです。


当時、わたしの中で緒川たまきは、
「わたしが憧れる男の人は、きっと、こういう女の人が好き」という
「こういう女の人」の筆頭格でした。
自分がなりたくてもなれない、手の届かない女性だったわけです。
美人で頭が良くて美術館が似合う感じ、
あるいは、清潔感があるんだけど匂いたつ色気、
控えめだけどクリエイティブな才女、
シミひとつないきれいな肌できれいに覆われているけど、
そこからあふれでてしまう知性と影、
そして何よりも、ここがポイントなんだけれど、
サブカル的匂いがある女の人。
あーなんて素敵なんだろう。こんな人になりたい。なりたい。
でも、なれないもーん。
と大学生のさかなはふよふよ思っていたわけなのです。


だから、その先輩の言葉は、わたしにとって衝撃だったのです。
(別にその先輩がタイプだったというわけではないのだけれど)
「え!世の中には緒川たまきが嫌いな男の人がいるの?!」
みたいな衝撃でした。


でも、いつの間にか自分でも気が付いちゃったんですね。
実は、わたしは、知性とか影とかクリエイティブとかサブカルとか、
そういうのに無頓着な人が好きなんだなーと。
もっと簡単に言えば、
知性とか影とかクリエイティブとかサブカルとかではなくて、
人を見るとき、そういうものの向こう側を見ている人がいるということを
知ったからなんですけど。
もっと、もっと、簡単に言えば、
友達の男の子が「おれ、すっげえ、井上和香が好き。ワカパイ、ワカパイ」
とか言っているのが、なんかすごく
シンプルで良いなあと思ったからなんですけど。


というわけで、季節がすぎていくみたいに、
わたしの中の「緒川たまき神話」もすっかり忘れさられてしまったのです。
そして、「緒川たまき神話」と表裏一体にあった、
わたしが「憧れる男性」イメージもいつのまにか消えてしまいました。
つまり、知性とか影とかクリエイティブとか、そういうのに敏感な
おしゃれで素敵な男の人イメージということなのですけど。
「そういうことに優先順位を置いている人って、めんどくさいなぁ…」
みたいな感じになっていったわけです。


なので、好きな芸能人ももっとシンプルに考えようなどと思い、
「カトゥーンの亀梨くんがすき」とか、
人が聞いたら「いい年こいて馬鹿だろこいつ」
という発言を心がけてきました
(うそです。心がけてはいないです。ただ、「1ポンドの福音」を見て、
亀梨くんかわいいなーとか思ったのです)。
ついでに「奥田民生とかオダギリジョーがみたいな男の人好き」
という先輩に
「そんな雰囲気だけの男にバットを大振りするな」
とか生意気な発言を心がけてきたわけです
(うそです。奥田民生オダギリジョーも素敵です)。


でもね、最近、「緒川たまき神話」ならぬ「伊藤歩神話」が
再浮上してまいりました(内容は緒川たまきとほぼ同じ)。
緒川たまきとか、宮崎あおいとか、麻生久美子とか、伊藤歩とか、
すべてわたしの中で「緒川たまき神話」の女優さんなのですが、
なんでかって言うと「UR賃貸住宅」と「スタイルフィット」のCMのせい。
だって、大森南朋がかっこいいんだもん。雰囲気が素敵なんだもん。
田辺誠一もかっこいいんだもん。雰囲気が素敵なんだもん。
両方とも伊藤歩と共演しております。伊藤歩も素敵です。好きです。


これで、佐々木蔵之介伊藤歩と共演してしまったら、
また「伊藤歩神話」が出来上がってしまうじゃないの(笑)。


相変わらず、大森南朋とか、田辺誠一とか、佐々木蔵之介とか、
地味だけどとってもかっこいい男の人が好きなんだなーと
こりない自分がいたりもします。


なのでそんな素敵な男性にぴったりの伊藤歩がうらやましい今日この頃。