妄想癖


雪ふぶく ロッジにふたり 妄想にあこがれて
そーすりゃ 本音四の五の追求しなくても まじわれるでしょう?

T.M.Revolution[1997]「WHITE BREATH

みーさま、まずいよね?年がばれるかな(私信でした)


なんにせよ、わたしと同世代の人は、この曲を絶対一度は耳にしていると思うのですが。
あと、この時期で思い出すのが『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』かな・・・。
制服着たままカラオケに行ってT.M.Revolutionを歌って、授業中にマサルさん読んでたら、
間違いなくわたしと同世代だと思います。


ねえ、90年代ポップスってどうしてこんなにダサいの?


実を言うとインターネットで「WHITE BREATH」の歌詞を検索しました。
でも、検索した歌詞をそのまま載せるのは、あまりにもダサくてできなかったのです。


ほんとは、「雪吹雪く 山小屋にふたり・・・」だそうです。
雪吹雪くなんて、馬から落馬みたいだし、
山小屋と書いてロッジと読むにいたっては、もう、恥ずかしくてたまりません。


あの頃のヒット曲って、ぜんぜん垢抜けてなくて、
かっこよさというものを追求してなかったなぁと思います。
簡単に言うと、田舎くさい。
といっても、約10年前。わたしにとっては、つい最近です。
最近のヒット・チャートはどうなのでしょうか。わたしにはわからないけれど。


でも、そんな田舎くさい流行にも乗れなかったのが、わたしで・・・。
「好きな音楽は、小野リサと10ccです」なんて、かっこつけたりしないで、
モーニング娘。がちゃあんと歌えるような子だったらよかったのに、と後悔したりします。
どちらにしたって、商品化された音楽文化を内面化していることには変わらないんだから。
今もそうだけど、わたしは、どんくさい。


閑話休題


ずいぶん、話がそれてしまいました。
なぜ「WHITE BREATH」を引用したかというと、今日の日記のテーマが妄想だからです。
わたしは妄想癖があるようです。でも、気にしないの。
だって、わたしのまわりにいる人はわたし以上に夢見がちなんだもの。


先日大きな電車事故があって、帰路の途中、わたしは駅で足止めを食ってしまいました。
今日はそのときの話です。

深夜12時をすぎても電車は動き出しそうにもなくて、
わたしは、電車をあきらめて、タクシーで帰る事にしました。
でも、改札を抜けてタクシー乗り場に向かうと、そこは長蛇の列で、
わたしの前には100人ほど並んでいたんです。


こまかい霧のような雨が降っていて、なんだか心細くなって、近くの人に声をかけました。
もし、近所だったら乗り合いできるかな、と思って。
前にいた女の人は、わたしの質問に
「わたし、T霊園に住んでいるんです」自嘲気味に答えてくれました。
でも、その女の人の唇が苛立ちでゆがんでいて、
T霊園がどこかも分からないわたしは「そうですか・・・」としか言えなかったのです。
はじめは気にも留めなかった霧雨が、
すこしずつ、じくじくと染み入るように身体を冷やしているがわかりました。
もうすぐ12月だもんなぁ、と思って空を見上げると、
オレンジ色の街灯が霧雨でぼんやりにじんでいて、あるはずの空は見えなかったのです。


いつしかタクシーも来なくなり、タクシーで帰ることも絶望的になってきました。
わたしは無理をすれば歩いてでも家に帰れることは分かっていたのですが、
深夜にひとりで峠をこえるのはためらわれました。
それならいっそ、どこかで夜を明かした方がいいな、と思いました。
霧雨の中、これ以上外に居ては風邪を引いてしまうと判断したわたしは、
タクシーで帰ることを諦めたのです。


いったん、もといた駅の改札に戻るとそこには大勢の人が居て、
皆苛立ちを隠せないようでした。
駅員さんになにやら文句を言っている人も居ました。
わたしはそんな元気もなく、冷えた身体をどうにか暖めたくて、
駅長室の近くにぼんやり立って、手をこするばかりでした。


そのときでした。
わたしの家の最寄駅であるH駅までの輸送バスを運行するという声が聞こえたのです。
わたしは安堵のため息を付いて、
振り替え輸送の切符を駅員さんから受け取り、バスに乗りこみました。
どうやらH駅に行く人はあまり多くなかったようで、座席にも座ることができました。


バスの中を見渡してみると、皆、大概は2人組か3人組みで、
ひとりでぽつんと座っているのはわたしだけでした。
こんな夜は誰かに頼りたくなるし、側にいる誰かにすがりたくなるものです。
でも、わたしは、誰でもいいとは思えなくなっていたので、
側に居て欲しい人の不在を痛感していました。
なぜこんなに感傷に浸って、馬鹿なことを考える人間になってしまったのかなぁ・・・
とぼんやり窓の外を見ると、
ニュータウン特有の要塞のように立ち並ぶマンションから
こぼれる光がきらきらとひかって、それはそれは、とても、きれいでした。
宮沢賢治は怒るかもしれませんが、まるで、銀河のなかにいるかのようだったのです。
ジョバンニとカンパネルラが乗ったのは電車だったけれど、
バスの方がわたしらしいような気がしたんです。


外の不思議な眺めに見とれていると、
ふと、うしろの座席のかぼそい声が耳に入ってきました。
「どうしよう。わたし、H駅まで行っても、もう、終電終ってて、帰れない・・・」
それは、20代前後の女の子と男の子の2人で座っていた、女の子の声でした。
「俺のところ、泊まればいいよ」
男の子はさらりとそんなことを言います。
すると女の子は語気を強めていいました。
「ダメだよ。だって、タクミくんは、ユイちゃんのことがすきなんでしょう?
来週、ユイちゃんとデートするの楽しみにしてるくせに…」


わたしは、苛立ちをおぼえました。
某SNSのコミュニティの言葉を借りるなら、こいつは、あの女だな、と思ったのです。
きっと、口調から察するに、彼女は彼に気があるのでしょう。
でも、その気持ちを隠して、彼の恋の話を聞いているに違いありません。
わたしは、こういうのは好きじゃないなぁ・・・と思うのです。
なんていうのかしら。悲劇のヒロインぶっちゃって、さ。
わたしも自分にそういうところがあるから苛立つのでしょうが、
悲劇のヒロインぶるのって、同情を引くようで、自意識過剰で、とてもかっこわるい。


男の子は彼女の言葉に「・・・そうだけどさ…」と答えたまま押し黙ってしまいました。
彼のこの態度は、彼女にとって欲しい言葉ではなかったのは明白です。
だって、彼女は即座に
「でも、タクミくんがいてくれて、よかった。
こんな時、ひとりだったら、心細くなってたと思うの」
なんて言って、色気を見せるんだもの。
けー。どうせ、わたしはひとりだよー。べろべろぶー。
「でも、帰れないじゃん。だから、泊まれよ」
なんて男の子の方は積極的に口説いているのに、
「いいよ。わたしなんて、漫画喫茶とかでぜんぜんだいじょうぶだから。」
なんちゃって、相変わらず、女の子はうじうじを続けていました。


聴いていて(勝手に聴いていたわたしがいけないんだけどさ)疲れてしまいました。
なんで、こんなに爽やかじゃないんだろう。
なんで、彼女の声はこんなに粘りついているんだろう。
正直になれないのなら、せめて、かっこぐらいつければいいのに。。。
なんだか、安っぽいメロドラマを観ているような気分になってしまいました。
でも、ああするしか仕方ないのかなぁ・・・なんて自省的に考えてみたりもします。
好きな人に好きだと伝えるのは勇気が要るものだし、
いくら好きでもその後のことを考えたら、踏み出せないのかもしれないね。
人間関係だとか、いろんな事情だとか、すごくわずらわしいですね。
なによりも、彼の言葉にどれだけの意味があるのかを考えたら、足がすくむでしょう。
「そんなんどーだっていいよ。」と言える勇気が要るのだなぁ、と考えていました。
今夜みたいなアクシデントに乗じて、踏み出しちゃえばいいのにね。
なんて思ってはみるけど、心のどこかで「自分だって、できないくせに」
ともうひとりの自分が囁くのさ。


なんてぶつぶつ考えていたら、あっという間にH駅についてしまっていました。
もう霧雨はやんでいて、
人気ない駅のロータリーのアスファルトが雨を含んで、きらきらと光っていました。
その後どうなったかは、わからないけれど、
素直にもなれないし、かっこもつけられない彼と彼女に
WHITE BREATH」はぴったりだななんて意地悪く思ったんです。
90年代のダサさも、すぐに消えてしまう商業音楽のはかなさも、ふくめてね。


でも、会話を自分で勝手に解釈して妄想を膨らます一方で、
とても怖くなる自分がいることもたしかです。
商業音楽という形態を内面化してしまったわたしの思考回路は、
やっぱり、どこか、商品化されてしまっているような気がするのです。
彼女を安っぽくさせたのは、わたしの頭かもしれないんだよなぁ・・・
そうだとしたら、しょんぼりです。
ちょっと反省したわたしは、彼女の恋がうまく行くようにちょっと祈ったのでした。


でも、後日、某友人にその話をしたら、
「わたしなら、やっちまいな、って思うよ」って笑っていました。
そんなきみが好きさ♪