近況報告

ちょっと、気を抜いたすきに、すっかり晩秋になっていた。
薄着で出かけた旅の帰り、寒さに腕をさすりながら、つぶやいてしまう。
「こういうのは、ちょっと、予想外で困る」
久しぶりに帰ってきた下宿のポストを開いたら、自分の無神経と傲慢が詰まってた。
こういうとき、世界に自分は邪魔だと思う。
わたしは、べつに、自分の事が嫌いなんじゃないんだよ。
ただ、自分がわずらわしくて、邪魔なだけなんだ。


ときどき、こういう気分になってしまうときがある。
自分でも、とてもかっこ悪くて、恥ずかしいことだというのは分かっているのに、
どうにもこうにも、上手く自分をコントロールできないところが、わたしにはある。
外見に似合わず、華奢なことを考える自分は、埋まってしまいたいぐらい恥ずかしい。
こんなようなことを考えながら、ちょっとしょんぼりしていたら、
今、読んでいる本の内容がふと頭をよぎった。


社会的に規定された環境の中における人間の身体と人間の自我の共通した発達は、
身体と自我との特殊人間的な関係と結びつきを持っている。
この関係は離心的なものである。
というのも、一方では、人間は他のすべての動物生体についていえるのと
同様の意味で、一つの身体である。
他方、人間は一つの身体を持っている。
つまり、人間は自己自身を一つの統体(entity)として経験する。
しかもこの統体は彼の身体と同一のものとしてあるのではなく、
逆にその身体を自分の意のままにできるものとして存在する。
換言すれば、人間が自己自身を経験するということは、
身体であることと身体を持つこととの間のバランス
―このバランスはその度ごとに回復されなければならない―のなかを常に彷徨する、ということなのである。
ピーター・バーガー&トーマス・ルックマン(山口節郎 訳)2003『現実の社会的構成』


ああ。なるほどね。
つまり、わたしは、今、身体であることと、
身体を持つことの両方を肯定できてないんだな、と思う。
わたしは、ひとつの身体であることにわずらわしさを感じていると同時に、
自分が自分の身体を評価しているという意識の傲慢さに辟易としているわけなんだから。
簡単に言っちゃうと、自分の事が邪魔だと思っているくせに、
そんなことを思ってる、自分の意識にも腹が立っているんだよ。


自己分析していたら、少し、落ち着いてきた。
こういうときは、身体であることを肯定してあげるに限ると思う。
わたしは実存だからね。否定しても仕方がない。


数日間、自分を甘やかしてた。好きなこと以外、しなかった。
大好きな赤パンダちゃんを口説いて、
好きなバンドのライブに行って、きのこちゃんの家にお泊りして、
そのあとは、家でじっとしてた。
嫌なことは一切しないと決めたら、食べるか、寝るか、散歩するか、絵を描くかになってしまった。
結構、単純ね。自給自足で、ほぼ、事足りるタイプだ(ちょっと、うれしい)。
だから、まあ、居てもいいよね・・・って、テキトウな感じね。


この数日間した発見。
①わたしは、実存。だから、身体とかそこにかかわる病気も実存。
アナログフィッシュってバンドはイケる。

アナログフィッシュについては、またの機会に。


[私信]
赤パンダちゃんへ 
NYTK相変わらず一人でやってるよ。
高級スーパーの一本150円のとか飲んだりするよ。大人の味だよ。
NYTK覚えているとは思わなかった。
トラックバックというのをしてもいいのかなぁ。。。してみよう。うむ。
しかし、トラックバックのやり方がわかりませんでした。
へんな事してたらごめんね。
(参照)http://yaplog.jp/ranranrunrun/archive/45