コマンタレブーな人生

絶体絶命ヒーロー ぺしゃんこ
もう、どうなってもいーやー このまま眠るだけさ
コマンタレブーな人生デイバイデイ

            cafelon「Workholic Hero」2005『No More Humore!』


楳図かずおの漫画で、自分のことをすごく醜いと思い込んでいる男の話があります。確か、「ダリの男」でしたっけ?あの感じ、すごくよく分かります。わたしも、ときどき、ものすごく自分が気持ちが悪い人間だと思う時があって、自己への嫌悪感が肥大しすぎて、人と接することができなくなる瞬間があるからです。


わたしがこうなってしまう時は、大抵、ものすごく無理をしているか、何かを期待しすぎているときです。特に人間関係の場合に失敗しちゃいけないと思うと、失敗の原因を、自分の人間性に求めようとするから余計に自己の嫌悪感が肥大する。


でも、わたしの場合は、「ダリの男」のように相手を自分の世界に引きずり込もうとする情熱へとベクトルは向かなくて、相手に気に入られようと媚びてしまうのだけどね。でも、媚びる自分にも気持ち悪さを感じてしまうし、媚というのは相手に敏感に察知されてしまうものだから、上手く行ったことは一度もありません。だから、純文学によくでてくる「無意識の媚態」という表現、そんなのは坂口安吾の小説に出てくる鬼の褌を洗う女くらいすごい人じゃないとないんじゃないかと思ってしまうのです。


ここのところ、ものすごく背伸びをしていたと思います。嫌われたくなくて、それなのに欲しい言葉ばかりあって、それが得られないことも、それを求めていることすらも自分への嫌悪感を再生産するばかりでした。でも、こういうとき、自分でも分かってはいるんです。こんなにバランスが悪くては、人間関係において運命も奇跡も起こらないんだってこと。


相手の心と自分の心が共有されていると信じられる瞬間というのを経験したことがあります。それは、わたしにとって、とても幸福な経験でした。例えるなら、クリスマスとお誕生日が一気にやってきた時のようで、哲学命題の認識と対象の一致を証明したような幸せな気分で、わたしは、今でもそれを運命と奇跡が一気にやってきたと信じています。おおばかやろうのロマンチストですね。でも、自分への嫌悪感が肥大したとき、あの運命と奇跡はやってこないって分かるんです。今のわたしには、手の届かない領域なのです。こういうときはさ、諦めるしかないぶー。人のせいにも自分のせいにもせずに、諦めるしかないぶー。こまんたれぶー。



で、その運命と奇跡を経験したと確信しているお友だちと先日した会話。


友人 :「シャーマンキングって知ってる?」
さかな:「知ってるよ。クネヒト・ペトロでしょ?」
友人 :「それもそうだけど、ちがう。ジャンプのやつ」
さかな:「それって、デュエルモンスターってやつ?」
友人 :「ちがう。それは遊戯王
さかな:「ええ?!ちがうの?!」
友人 :「うむ。ちがうのだ」


だめじゃん(笑)。