ホテル・ルワンダ

soranosakana2006-09-06




(HOTEL RWANDA 2004 南アフリカ・イギリス・イタリア)


うろ覚えでよくないのだけれど、以前、
塩野七生が『リーダーシップの条件』について書いていたのを読んだことがあります。
日本でよく求められる「リーダーシップの条件」は、「実行力」とかなのだけど、
(ほら、バカたれ○○の支持理由も「実行力がありそうだから」とか言うでしょ)
イタリアの教科書ではその必須条件に「自制心」が挙げられているそうです。
「実行力、そんなの有って当たり前」なんだって。
わたしはその文章を読んだとき、
カエサルを生み落としたイタリアの歴史の厚さに感動するのとともに、
積極性や実行力ばかりを評価対象にする日本に
ちょっと恥ずかしくなった記憶があります。
「大声を上げれば勝ち」というのが、わたしは大嫌い。


今回観に行った『ホテル・ルワンダ』は、
色々なことを考えることができる映画だったのだけれど、
わたしが観て一番考えさせられたのは「人の自制心」についてでした。


ホテル・ルワンダ』は1994年にルワンダ起こった、
フツ族至上主義の急進派の民兵組織による
ツチ族フツ族穏健派の大虐殺を扱った映画です。
映画の主人公はミル・コリン・ホテルの支配人ポール・ルセサバギナ。
彼はフツ族(としてカテゴライズされていて)で、
ツチ族の妻を持った、エリート・ホテルマンでした。
大虐殺以前から、彼はフツ族至上主義の政治運動の動きを懸念しながら、
妻と子どもを守るため、急進派の人々とも即かず離れずの関係を維持しつづけます。
きっと、当時彼は自分のホテルで1200人以上ものツチ族
かくまうことなんて予想してはいなかったでしょう。
彼は家族を守ることを最優先していて、そのために、
つながりを持つべき人間を冷静に判断していたのですから。
大虐殺が開始され、国連の平和維持軍が駐在するミル・コリンには、
ぞくぞくと命からがら逃げてきたツチ族の人々が集まってきます。
いつから、彼が自分の家族だけでなく、
集まったツチ族のひとびと全てを守ることを決意したのか、
果たしてほんとうに決意したのか、わたしには分かりません。
むしろ、状況と目前のものに対する真摯さが
彼の腹をくくらせたというのが正解でしょう。
つまり、彼のホテルマンとしてのプライドがそうさせたのだと思います。
幾重にも積み重なる死体の中で、そして、狂気に濡れた目をした人々の前で、
いつ何時も、気丈な態度でふるまおうとする彼はほんとうに強い人だと感動します。
結果的にが、彼の冷静な判断と、自身の感情を抑制しようとするその自制心が、
民兵組織の攻撃を既の所でなんとか食い止め、
家族とそして1200以上の人々を守るのです。
でも、ほんと、首の皮一枚とはよく言ったもの。
ポールだって、何の自信もなかったことでしょう。


人というのは本当に弱いもので、
誰もが狂気に陥る可能性を抱えているものだと思います。
大虐殺が世界のあらゆるところで起こっているという事実を考えても、
人は人が死ぬことに対して限りなく鈍感になりうるし、
人は人を殺すことを選択する可能性を持っているということです。


劇中のセリフの中で、以下のような言葉が出てきます。

「世界の人々はあの映像を見て──“怖いね”と言うだけでディナーを続ける」
「君が信じている西側の人間にしてみたら、君らはゴミだ。
    救う価値がない。君はアフリカ人だ。ニガーですら無い。ブラックだ」
(引用は記憶を頼りにするところが大きいので、細部の差異はご了承ください)

これらの言葉は確かにセンセーショナルで、メッセージの強い言葉で、
わたしたちは自分の鈍感さを思い知って、
比較的容易にこの言葉に胸を痛めることができるような気がします。


だけど、それ以上に、わたしたちが自覚する必要があると思ったのはこんな会話です。

ツチ族をみんな殺せるなんて、思ってないだろ?」
 ――「なぜだ?ここまできた。あと半分だ」

これは、ポールと急進派のリーダーであるジョルジュ・ルタガンダとの会話なのですが、
多分、今、わたしたちが自覚する必要があるのは、
誰もがジョルジュ・ルタガンダのような言葉を口にする可能性がある、ということです。
つまり、誰もが、ジョルジュ・ルタガンダのように
喜んで人を殺す可能性があるということを忘れないということです。
戦争・紛争にしても虐殺にしても、それを打開するために必要不可欠なのは、
自分がいつ何時狂気に陥るか分からないという自分に対する問いかけと、
他者に対する想像力なのではないでしょうか。
勧善懲悪なんてこの世には、たぶん、ないのでしょう。
だから、誰かを悪人にして解決するべきでもないのでしょう。
誰もが、その可能性を持っているんだから。


大虐殺はもちろん、ありとあらゆる狂気を目前にして、いかに自分が冷静でいられるか、
どれだけ理知さと自己抑制もって狂気と相対することができるか、
それが自分、ひいては、人を守る事になります。
わたしは自分がどれだけそれができるのか、想像もつきません。
ただ、イタリアの教科書が教えてくれたみたいに、
ホテル・ルワンダ』が教えてくれたみたいに、
自制心は人に強さをあたえるような気がしています。