雪山遭難

映画のレビューを書きたいと言っているのに、どうしてこうなっちゃうんだか。


最近、わたしは意図的に友だちに連絡を取るようにしています。
なぜなら、いろいろな問題が山積みだから。
しかもそれが、バスキン・ロビンズの7段重ねのアイスクリーム
のように不安定なのだから手に負えない。
自分が冷静じゃなくなりそうなときは
「頭のいいお友だちの冷静な意見を聞くこと」これに尽きます。
感謝してます。ほんとうにどうもありがとう。


今日お友達と話していたら、ふと、子どもの頃聞いた「本当の勇気」の話を思い出しました。
少しも躾をされてこなかったわたしが、なんども、なんども、親から聞かされた話です。
「登山家が雪山に登って吹雪いてきた時、頂上に登ることを決意するのは容易い。
本当に難しいのは下山すること、退き帰してすこと決めることだよ。
退き帰せること、これが本当の勇気なんだよ。あなたはそういう子になりなさい。」
わたしは最近この言葉をすっかり忘れていて、今日ふと思い出して、
自分の凍結していた視野が、いっせいに溶け出したような心地がしました。


そうしたら本を読むにつけても、
「新聞やラジオは祖国の危機を叫び、巷の流言は日本の滅亡をささやいていたが、
私は私の生存を信じることができたので、
そして私には困った時には自然にどうにかなるものだという心の瘤があるのだから、
私は日本なんかどうなっても構わないのだと思っていた」
なんて書いてあるのが目に入ってくるのだもの。
もう、「思い出してよかった!」という気分になってしまいました。
「私は私の生存を信じることができる」この感覚は本当にいろいろな問題を蹴散らすと思うのです。


そうしていたら、更に記憶がいろいろ飛び出してきて、
雪山だからなんでしょうけど、思い出したのは
ヘミングウェーの「キリマンジャロの雪」の冒頭に出てくるヒョウの話しでした。
キリマンジャロ山頂付近に凍りついたヒョウの屍があったんだって話です。
ヒョウはビジュアル的に美しいから凍り付いていても美談になるけれど、
わたしがキリマンジャロ山頂で凍りついていたら、
ものすごくかっこ悪いことのように思います。
多分、口とか開いちゃってね。やめておきましょう。


バスキン・ロビンズの7段重ねのアイスクリームを落っことしても、
ひとまず、わたしはわたしの生存を信じることができるようです。