鍵がない

soranosakana2005-11-02


(2005 日本)

先日『鍵がない』という映画を観にいってきました。
家の鍵をなくしてしまった女の子の
一夜のできごとを描いたお話です。


彼女は夜遅くに自分のマンションの前で鍵をなくしたことに気がつきます。
しかし夜更けのことで頼れる人も居らず、いつしか携帯の電源も切れ、
彼女は忘れたふりをしていたことと向き合わなければならなくなります。
それは、昔付き合っていた恋人に合鍵を渡したままになっているということ。
けれど、彼女は昔の彼のもとに鍵を取りにいく勇気が出ません。
なぜなら、彼女は未だにその彼のことが忘れられないから。
そんな消化できない思いを抱えながら
彼女は鍵をとりに行くために彼のもとへ向かうのです。


わたしがまず、おや、と思ったのが、
この映画の主人公の美紗子の描かれ方です。
彼女はこの映画の中で、無意識の世界や想像の世界と
隣合わせにしながら生きているように描かれています。
彼女は現実よりも非現実的・空想的な世界を背負わされています。
他人に対する好奇心、猜疑心はたくましい想像力(妄想力?)のたまものであり、
それが時に彼女にさまざまな夢を見せ、その夢が彼女の意思を左右します。


その反面、美紗子の昔の彼は、常に現実として描かれます。
恋愛感情だけでなく、再婚・子どもとの相性・責任など、
具体的な問題に左右されながら、彼の意思は動いてゆきます。
彼にあるのは他人に対するためらいと、責任です。


このような描かれ方は女性と男性の対比からでしょうか。
それとも、若さと年をとることの対比からでしょうか。
たぶん、両方なのでしょう。


そしてここからわたしが導き出したい疑問があります。
それは、無意識の世界や想像の世界が
どれだけ人の人生と深く関わってゆけるか…ということです。
彼女が夢の中で出した結論と、
彼が現実の中で出した結論と、
どちらが幸福でどちらが正しいのかはわたしには判断がつきません。
ただ、彼女のように夢の中で結論がだせるのならば、
彼女のように夢の中で救われるのであれば、
無意識や想像の世界はとても大切なものになり得るはずです。


無意識や想像は人を救うのだと、わたしは思いたいのです。
ですから、この作品はそういう意味で人を救うための可能性が提示されています。


ただ、いかんせんわたしが不満なのは、
彼女が出した結論と、彼が出した結論が、
ジェンダー化されすぎているように思われるとことです。
最近の物語の中に出てくる「つよい女とためらう男」の図式です。
わたしが美紗子だったら、たぶん、こんな結論は出さないと思う。
きっとラストはこんな風に終らないと思う。


最近の物語の中にでてくる男の人は、
ためらいながら恋人にふれるようになったと思います。
だけど、ためらいながらだしたその手を、些細なことですぐにひっこめてしまう。
そのためらいや弱さに共感はあるんです。
でも、わたしは「ずるいよ」って悪態をつきたくなってしまうのだけれど。


おもしろかったので、機会があれば是非観てみてくださいね。