ヘイフラワーとキルトシュー

soranosakana2005-10-24

(Heinahattu ja Vilttitossu)

2002年フィンランド


わたしは自分が女ふたり姉妹に生まれたせいか、
お姉ちゃんと妹を題材にした物語がすきです。
たぶん自分の感覚に重ねやすいのだと思います。
今回観た『ヘイフラワーとキルトシュー』は、
そういう意味で言えば本当に自分の感覚に近い映画でした。


しっかりもので妹思いのヘイフラワーと
天真爛漫でわがままなキルトシューは仲よしふたり姉妹。
ふたりはいつもいっしょだけれど、ヘイフラワーにはひとつ心配なことがあります。
それは、自分が学校に通うようになってからのこと。
家事が大嫌いなお母さんと、おイモの研究のことしか頭にないお父さんは
ヘイフラワーとキルトシューのことなんかほったらかしでいつも自分たちの事ばかり。
自分が学校に通い始めたら、家事をやる人が誰もいないし、
そしてなによりもあのわがまま妹の面倒を見る人が誰もいなくて、
キルトシューがひとりぼっちになってしまう。
あと一週間で学校なのにどうしよう、
とヘイフラワーは悩みかみさまにお願いするのですが…さてさて。


かんたんなあらすじはこんな感じなのですが、
作品自体はヘイフラワーの視点、つまり姉の視点にとくに重点が置かれていました。
ヘイフラワーはキルトシューの面倒はもちろん、
おとうさんとおかあさんの面倒もみています。
まさに、小さなヘイフラワーに家族みんながしがみついている感じ。
そんな状況の中、彼女は両親や妹へ懸命につくそうとする優しい思いやりをもちながら、
自分がいつも「妹思いのいい子」でなくてはならないことに不満を感じています。
この映画を見る人は、ヘイフラワーのけなげさに胸を打たれるはずです。
その反面キルトシューの元気さややんちゃぶりは、ときどきにくたらしくなるほど。
けれど、そのにくたらしさもご愛嬌。
元気よく駆け回るキルトシューは画面の中できらきらしています。


「しっかりした姉と、わがままな妹」という姉妹像を
テーマにした映画や小説をよく見かけますが、
妹であるわたしはいつもちょっとだけ肩身が狭くなる思いがします。
だけど、肩身が狭いのはそれが事実だからだったりします。
「さかなが空想の世界に逃げ込めたのは、
おねえちゃんがさかなの面倒を見てくれたからでしょう」
と、ある人から言われたことがあるのですが、本当にそのとおりなのです。
つまり「しっかりした姉」は妹より先に生まれたがゆえ、現実を見ざるを得ないのです。
反対に「わがままな妹」は姉に守られて現実を見なくても許されてしまう。
キルトシューが癇癪をおこしたり、
わたしが空想の世界に逃げ込めたのもそういうことなのです。
ですが、わがまま妹の立場を代弁するならば、
妹は、はやく大人にならなければならなかった姉を
いちばん愛することができ、理解者となれると思うのです。
例えば、映画を観終わった後のこと、
「ヘイフラワーかわいかった!でも、あの妹のキルトシューだいっきらい」
というお喋りをしている女の子を見かけました。
きっと、キルトシューもわたしもそう言われても
あんまり怒らないのじゃないかしら?
だって、いちばん大好きなおねえちゃんがほめられているのですから。


この映画はヘイフラワーとキルトシューのふたりのかわいさを
観るだけで大満足な作品ですが、
劇中に出てくる他の役も個性的で魅力的なひとたちばかりです。
また、家のインテリアや街の雰囲気も明るくて色とりどりで、
観ているだけで楽しい気持ちになります。
それを観るのもまたおもしろいと思いますよ。


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